2011/03/15 日記 「震災(1)」
殴り書きですが経緯と自分メモ。ミスなど随時修正してます。
03/11金曜 午後
仕事の打ち合わせのため日立市の某学校施設へ。某ネットゲームでイベント中のため、部屋のPC3台を放置稼動。
ガソリンが少ないので帰宅の際に補給予定。
日立市内のショッピングセンター駐車場で会社の人と待ち合わせ。このまま車2台で向かおうということに。ちょっと奥まったところで解りづらい場所だった。
14時過ぎ、職員室?で打ち合わせ。
ホームページ修正のお話で、使ってるISPが自分も利用しているJSD様だったため、必要な情報が紛失してるけど何とかなるでしょうと進行。
14時45分過ぎ、そろそろまとめるかというあたりで揺れが。
最近、宮城で地震が多いいつものやつか?と思ったけど揺れは収まらず。
打ち合わせ先の方が本棚を押さえていたのですが、揺れもひどくなり危険と判断して避難を提案。真っ先に飛び出て通路を確保しつつ外へ。部屋→階段→外が近く幸運でした。
踊るように揺れる車を見て唖然とする。近くにある墓石がもともとそうであったかの如く崩れてた。
幸い建物の損壊もなく、揺れが収まった所で荷物を取りに入室→余震きてで脱出を繰り返す。壁の一部が崩れ、部屋は散乱。ちょうど使ってたポケットティッシュと仕事で受け取った資料以外は回収。
やっちゃいけない危険行為なのは解っていたが、重要な記録が書かれたメモがあったのだ。外に出てふと出たつぶやき「メモと心中はごめんです」。無事だから書ける。
携帯からツイッターに、無事である旨を発信。
解散して帰宅の途に。電気、信号が完全に消えてる。道路や橋に段差がある。
それでも譲り合って事故にならない日本はすごいと思った。
国道6号はのんびりながらも動いてくれた。津波に注意の放送が聞こえる。
ガソリンスタンドは停電のため無理そう。渋滞でも何とか帰れる量はありそう。スポーツ走行で有名な4A−GEエンジン車だけど、リッター10キロ超えで安心の当たり品です。
高萩市が近くなったあたり、海岸に近い電柱が傾きつつ、これは怖い。渋滞で止まる度に電柱や橋に何もないことを祈るしかできず。
町の入り口で、川になにかあったのか市の車が封鎖してたため、高台の団地経由で市街地へ下りる。火事は無さそうだ。
被害を受けた建物が多く、自宅は大丈夫だろうか。
車を駐車場に置いて家に向かう。
住んでるアパート正面の道路が盛り上がって、マンホールが飛び出してた。
昭和40年代の古いアパートだったけど、どうやら損壊とか無さそう。2F事務所、3F住居ともに、窓はカギをかけていたけど、それが開いてて窓は中途半端に開いてた。動いてくれたおかげで割れないで済んだのかもしれない。
事務所の窓カギのうち1つは入居当初から動かず諦めていたもの。皮肉にも地震によって直されてしまった。
もともと寝床の周辺にものを置く習慣で、空間の使い方が下手で立体配置してないのが皮肉にも幸いして転落物は軽いものばかり。プラモデルの箱が散乱していた。
動いていたPCのほうも、モニタの1つが敷きっ放しのふとんの上に落下してただけで、ほかの2台は机から落ちずに無事。PC本体のほうは、もともとこの地は地震が多く落下が怖かったため全て床置きで転倒もなく。しかし稼動中だったのでハードディスクのクラッシュが心配。停電中なので確認する手段は無いが。
津波警報で避難するようにとの放送があり、携帯の電池と重要物だけまとめる。ノートPCは仕事柄重要なデータが多いけど重いので、建物の倒壊も怖いし車に置いていく。賭けです。
電気ブレーカーとガスの外栓を締める。水道栓も締めるべきだったが忘れた。配線・配管にトラブルあった場合、供給開始と同時に漏れて事故を招くのを防ぐためである。
徒歩で高台の小学校に向かう。母校です。携帯から安否情報を入力、掲示板やツイッターに発信。
体育館の老朽化が激しいためもっと上に移動が必要らしい。しばらく滞在後、いったん町に戻ることに。
かつて住んでいた駅前の状況を眺めながら自宅に向かって歩いていたら、仕事上のお得意様であるS川さんに出会う。海岸近くに住んでいる方で、高台の高校へ避難するということでついていく。こちらも母校。氏からペットボトルの飲料水を1本頂いた。
つづく
次の記事(2)→
戻る