昭和の残像(伊藤版)
部屋を片付けていたら祖父の50年以上も前の写真が出てきました。祖父は当時、職業軍人でした。
そこで、友人である原田氏の真似をして、「昭和の残像(伊藤版)」を作ってみました。
製作は2002年2月のものです。
以下の写真はすべて祖父のアルバム&未整理の写真箱から出てきたものの、ほんの一部です。人物写真が多かったのですが、身内以外は誰だか特定できませんでした。このため人物写真の公開は集合のもの以外は見合わせています。
アルバムの写真には、祖父らしく整理されコメントまでついてますが、私にはほとんど読めませんでした(笑)。
ほぼセピア色になっているため、白黒撮りこみしてあります。各、撮影者は不明です。ITOCHIの独断で掲載しました。


飛行機の命名式らしい。


軍艦・潜水母艦「大鯨」の進水式。
軍の広報用でしょうか?
天皇陛下が来るため急きょ間に合わせたらしい。
その後、空母に改装されました。

慰安旅行のスナップと思われる。

軍艦「響(ひびき)」
最近、プラモデルを入手したこともありイロイロ知った限りでは、この写真は改装前の貴重なもののようです。

家族と記念写真
左側の夫婦が祖父と祖母。祖父が抱いている赤ちゃんは私の父のようですね。




霞ヶ浦海軍航空隊、第二飛行分隊

パレード?


コメント:映画会社のスター達(?)
名前のコメントもあるが読めないので後日。


富士山と記念撮影
祖父のことを追記:
農家の末っ子(?)として生まれた祖父が、当時の日本で就職できる先は軍隊しかなかったようで、終戦まで海軍の職業軍人として生きました。最終的な階級は大尉だったと聞いています。
軍艦「ひびき」の乗組員で、船共々に終戦まで生き延びました。ケガ・病気?が原因で、終戦時は海軍病院の事務長を勤めていたようです。
戦争で部下をたくさん死なせたこと、そして南の島での悲惨な生活のことを、子供の頃の私に何度も聞かせてくれました。
そんな子供時代の私にとって、アメリカ軍と戦った話をしていた祖父が、そのアメリカに当時の戦友と旅行に行ったのが不思議でなりませんでした。(^^;
職業軍人だった祖父は終戦後、「生活必需」である燃料店(石炭など)を自転車1台で始めたそうです。燃料店は私の父の代まで続きましたが、時代の流れで98年に父がくも膜下で倒れたのを機に廃業となりました。
追記2:(2008/10/19)
イトーヨーカ堂 高萩店 完成予想図。
祖父は晩年、高萩市商工会で副会長を勤めていました。
1976年頃、イトーヨーカドーが出店する際、地元商店街との調整に走り回ったそうです。
その店も、約30年で撤退。駅前に巨大な空き地ができました。。。
トップにもどる