MSXとの出会い
1998年頃に書いた記事です。

 しばらくナイコン生活(懐かしい言葉(^^;)が続いていたのですが、高校生の時に、ついに我が家にもパソコンがやってきました。日立のMB−H1、当時仕様ができたばかりのMSXでした。ちょうどマイナーチェンジで十字カーソルキーに変更されたモデル、赤色でした。
 当時、我が家は燃料店で、取引の関係で日立/松下/東芝などメーカーは安く入手できたんです。本機H1のカタログは若き工藤夕貴のセーラー服でした。ちなみに亡き岡田由希子の東芝HXシリーズのカタログ(^^;も含め、現在も保存されてます。
 H1にはマシン語モニターが内蔵ソフトとして標準装備されていました(あまり使い易くは無かったけど)。このため、雑誌のプログラムの打ち込み等に大活躍してくれましたし、また、MSXの内蔵ROMとは何ぞや?というサンプルにもなりました。
 前出のMZ80Bのこともあり、Z80CPUの機械語はある程度理解してましたが、これですっかりアセンブラの人になってしまいました。 お金がなく最後までフロッピーディスクを購入するには至りませんでしたが、大活躍してくれました。現在もメモリアルマシンとして保存してあります。

 高校を卒業してしばらく、MSX2規格が発表され、ディスク搭載の機種が多数登場してきました。そして東芝のMSX2「HX−34」を購入。自宅の店で購入し、2ドライブ&RS232C搭載というフル装備状態でした。後述するMSX系の仕事の多くはこのマシンで作ったものです。
 MSXはプログラムを作るのに必要な内部に関する情報の多くが公開されていたため、結果、プログラマーを増やしたはずです。その功績は大きいでしょう。私もその1人です。そして、MSXの仕事からこの道に入っています。

オマケ
岡田有希子亡きあと、急遽HX−34カタログが変更されました。(^^;

各カタログは当時の物を無断使用(^^;

前へ
次へ
もどる